先日、知り合いの娘さんが亡くなりました悲しいまだ43才の若さでした。大学生の子供さんを残して、さぞ心残りだったでしょう。それに、子供に先立たれたご両親は、どんなに無念であり、辛かったでしょう・・・

とても人事とは思えません。私の母も、37才で亡くなりましたから。小学生の子供3人を残して。長女である私は、12才でした。突然母親を失った悲しみは、何十年立っても昨日のことのように、鮮明に思い出すことができます。絶対の存在である母親が、ある日突然この世から消えてしまったショックは、あまりにも深く、もともと内向的な私は、ますます自分の殻に閉じこもってしまいました。

私の記憶に残る母は、とても厳しく、一番上の私はよく怒られました。友達の優しいお母さんが、羨ましくてしょうがなかったことを覚えています。母には、どんなに叱られても、やはり生きていてほしかった。「なぜ死んでしまったの?もう一度会いたいよ~」と、毎日泣いていました雨

辛い気持ちは、月日と共に少しずつ癒されていきました。でも成長するにつれ、ある疑問が浮かんできました。「私は、母に愛されていたのだろうか?」厳しく叱られている記憶が多すぎて怒り優しくされた思い出があまりないのです。

それと、「母は果たして幸せだったのだろうか?母の短い人生って、何だったの?」という思いが出てきました。母は故郷を出て、知っている人がいない遠い所に嫁いで来ました。夫以外誰も頼れる人のいない町で、毎日毎日3人の子育てに追われていました。それに、父の両親のことで、よくもめていました。遠い記憶の彼方にいる母は、あまり嬉しそうな姿ではありません。

そんな疑問を抱きながら、母の死後20年くらい立ったころです。たまたまタンスの引き出しの整理をしていて、母の日記本を見つけました。日記と言っても、3,4行の簡単なものでしたが。どんなことが書いてあるのだろう・・・ドキドキしながら、読んでみました。

すると、日記は、私達兄弟のことで埋め尽くされていたのです。「今日はお兄ちゃんが、熱を出した」「しんどかったので、お姉ちゃんがお使いをしてくれた・・・」どの日も子供のことばっかりでした。ただ訳もなく、涙が出てきました。

こんなにも、子供のことを思っていたのだと初めて知りました。母は、やんちゃ盛りの子育てに一生懸命でした。日記から、大変な毎日だけど、子供の成長を楽しみに頑張っている様子が伺えました。母の愛を確信しました。私は、ちゃんと愛されていたのです。家族に囲まれて、平凡だけど、幸せを味わっていた母の姿を見ることができましたハート

私の疑問は、氷解しました。その日から、母の愛に包まれて、私の何かが変わり始めました。愛は、今までそこにあったのに、気づいていなかったのですね。